2009年05月17日

40歳にて

30代も後半になると誕生日は

人生の残り時間が短くなったと意識する日

となってました。

そして,今日から40歳。

不惑の年,といわれますが

40歳を過ぎると

だれもが迷わないようになるのでしょうか?

診断士の勉強をしたことで,個人であっても

人生や仕事の方向性を決めるには,強みと機会を活かして,

集中戦略を採用すべきであると考えるようになりました。

次の方向性も最近見えてきました。

年齢が来たからどうなるとは言い切れないかもしれませんが,

40歳に相応した経験と学習の積み重ね,

そして中年になったというあきらめ(覚悟)で,

迷いが少なくなるのだと思います。






posted by クンミー at 08:04| 鹿児島 ☁| Comment(3) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
43歳になっても迷いだらけのです。
不惑とは、孔子の論語のひとつで、
「吾十有五にして学に志す。
 三十にして立つ。
 四十にして惑わず。
 五十にして天命を知る。
 六十にして耳順う。
 七十にして心の欲するところに従いて矩を踰えず。」
からきてます。

思うに独り立ちして10年、心の迷いをなくすことができた、ということだと思ってます。
ぼくらは、"立った"ところなので、これからですよ!
もちろん10年はかけませんけどね(笑)
Posted by Reiパパ at 2009年05月17日 09:54
お誕生日おめでとうございます。

私の場合、迷って迷って、
答えにたどり着くと、
新たなステージの迷いが湧き出てきて、
の繰り返しだったと思います。

迷うことは、
新たな可能性が出てきているからだと思うので、
私は一生迷っていたいな、と思います。

「迷う」と「惑う」は違う気がしています。

最近「惑う」ことはなくなってきた感じです。

個人的な話でスイマセン。
Posted by 熱血感動型 at 2009年05月17日 21:21
聞きかじりで名言を引用すると浅学が露呈してしまうと感じるコメントを頂きました。

>Reiパパさん
孔子が学を志したのが15歳です。私が真剣に診断士試験に取り組んだのは37歳からでしたので,そもそもスタートが遅いわけです。まだまだ惑いながら進むことになるのでしょう。50歳のころには天命を知るようになっていたいものです。

>熱血さん
「惑う」には心の乱れが原因で迷いが生じるというような意味があるのかなと思います。次の方向性が決まらず迷うことはあっても,信念に従って決断できるようになりたいですね。
Posted by クンミー at 2009年05月19日 06:36
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